お客様の中には、すっぽんをペットとして飼われている方が、時折いらっしゃいます。
そんなお話を伺うと、自然と「餌」や「冬眠」、「水温管理」といった話題になります。
当店のすっぽんは養殖ですが、店内の生簀は泥抜きのための場所です。
ここでは餌を与えず、約一週間、静かに体を整える時間を過ごします。
常時かけ流しの澄んだ水の中で、水温と水質を保ち、できるだけストレスのかからない環境を整えています。
すっぽんは変温動物です。
水温が下がれば体温も下がり、活動は自然と緩やかになります。
15℃を下回ると冬眠に入り始め、20℃前後では動きを抑えながら静かに過ごします。
当店では、泳ぎ回って体力を消耗しないよう、水温を20℃前後に保っています。
一方で、餌を食べ、活発に活動するのは25〜28℃ほど。
養殖の現場では、越冬リスクを避けるため20〜22℃で管理し、冬眠させない方法もあります。
しかし、当店の生簀は「育てる場」ではなく、食すための最終調整の場。
すっぽんにとっても、人にとっても、余計な負担のかからない時間が流れています。
以前、そんな生簀の様子をご覧になったお客様が、
「調理の前に、極上のエステを受けているみたいですね」
と、ふと口にされたことがありました。
確かに、目利きで仕入れた食材を、
より美味しくいただくために整える時間——
余計なものを落とし、本来の力を損なわず、
静かに状態を仕上げていく工程は、
そう言われても不思議ではないのかもしれません。
それでも、営業時間の賑わう時間帯には、
すっぽんたちは石や木の陰でじっと身を潜め、ほとんど動きません。
夜行性でもあるため、夜の間に生簀を抜け出し、
朝、扉を開けると部屋の隅で固まっていることもあります。
その姿を見るたびに、確かに生きている命なのだと実感します。
初夏になると産卵期を迎え、生簀の底に卵が転がっていることもあります。
けれど、ここで孵化したことは一度もありません。
本来、産卵には土のある環境が必要なのでしょう。
命の循環には、人の手ではどうしても踏み込めない領域がある——
そのことを、静かに教えられます。
ペットとして飼われているすっぽんは、決して食されません。
家族であり、共に暮らす存在だからです。
一方で、食して初めて分かることがあるのも事実です。
骨の複雑な構造、
部位ごとに異なる肉質、
そして、丁寧に引き出される出汁の深い旨味。
それらは、命をいただくという行為を通して、初めて知る現実です。
だからこそ私たちは、
美味しく、丁寧に、余すことなく食材としていただくために、
泥抜きの方法、調理の工程、火入れ、盛り付け、提供の仕方に至るまで、
細部にわたり工夫を重ねています。
それは「美味しさ」だけを追い求めるためではありません。
命をいただく以上、その命を無駄にしないこと。
丁寧に扱い、最後まで向き合い、
きちんと味わい尽くすことは、
私たちに課せられた責任であり、義務だと考えています。
きれいな水で、静かに過ごした時間。
余計な負担をかけず、体を整え、
その命を、余すことなく料理へとつなげていくこと。
それが、私たちにできる
「命をいただく」ことへの、ひとつの礼儀だと思っています。
最後に、 「命をいただく」という想いを、
以前お子様向けにまとめた冊子があります。
よろしければ、その内容を参考として以下に添えさせていただきます。
すっぽんは、生きものです。
お店に来る前は、広いところで育ち、
お水の中で、ちゃんと生きていました。
お店に来てからは、
すぐに食べるわけではありません。
きれいな水の中で、
静かに、ゆっくり過ごします。
餌は食べず、
たくさん動かず、体を休める時間です。
それを見たお客さまが、
「まるで、極上のエステみたいですね」
と言ってくれたことがありました。
生きものにとって、
びっくりしたり、あわてたりすることは、
とても疲れることです。
だから私たちは、
できるだけ、怖がらせず、できるだけ、静かに、
「ありがとう」と思いながら、準備をします。
そして、食べるときは、
残さず、無駄にせず、しっかり味わいます。
それが、
命をいただくということ。
「おいしいね」と言う前に、
ここまで来てくれた命に、
心の中で、そっとお礼を言う。
それが、いちばん大切なことだと、
私たちは思っています。
瓢亭 fukube
女将 白倉 夏須美